永久運動

日記のような、随筆のような、ただ思ったことをつらつらと書きつらねるところです

うつりめ

おもうことなんかなくて、考えることなんかなくて、ただ流されてゆくままに毎日をすごして、ガラス越しに太陽のうきしずみなんかをながめていたら、夏がおわってしまっていた。電車にのっても、室内にはいっても、半そででは逆にさむいくらい冷房がついていて、夜になると日が沈んでいるために日光をおがむことができなくて、じぶんじしんを生物として考慮するとこれは圧倒的に変なこと。四季を無視してすごすことというのがからだに与える影響とはなんなのか、そんなことも考えようとしたのだけれど、どうしても考えることができなかった。や、というよりすべてを放棄していたというのがただしいことかもしれんが実際どうでもいいことなのであったので、これもながす。すてる。

 

いつのまにか涼しさがやってきていて、窓をあけて紺色のひかりがただよう夜の外をながめた。ずっとないていたセミがいつのまにか、名前もわからん鈴虫かなんかにかわっていて、その変異の瞬間がおもいだせない自分がいることが泣けてくる。頭痛もする。これはあとから調べたら肩こりやストレスからくる神経痛であったのだけれど、じぶんがじぶんとして積極的に時間を消費しているかんじがしないのよ、最近。よくないほんとよくない。

 

文章を書くのもきがつくとずいぶんひさしぶりで、パソコンのキーボードをぱしぱしうてなくなっててやはりここにも時間のながれをかんじる。受動的に時間をすごしすぎているため、時間に過ごされているというのが適切なひょうげんなのかもしれん。じぶんで動きをつくらねばねえ、とわかってはいるのだけれども。また秋はながれてゆくだけ。

 

 

残暑

前回文章を残してからずいぶんじかんが経ったのは事実、そのあいだに体重がおおはばに増えたとおもいきや、高校時代より2キロ増えただけだった。おそらく知らぬまに筋肉が脂肪への変化がおこっていたのでしょう、じぶんのことなのにまったく気がつかぬ、体たらく。

 

先日ふるさとにかえったとき、実家でなくじぶんの生まれた地、にかえったとき、その地域のなんとなく寂れた、時代に過ぎ去られた、おいていかれた建物や、道や、ベンチ、かたむいた電信柱なんかを横目で見て、やまで区切られたゆうぐれのそらと、夕日からしみだすオレンジ色の光のグラデーションをからだで感じて、なんともいわれぬ、形容しきれぬ関心をいだいた。

 

高校生まっさかりの17歳、読書をはじめてみようとして読み始めた、村上春樹、「海辺のカフカ」。はじめの主人公が高松まで夜行バスで移動するところがすきであり、夜中にわくわくしながら文章を目でおっていた記憶。どうやらじぶんの、抽象的で圧倒的な、なんていうの、ひとの力を超えた力、にたいする価値観というのか、それがこの小説で形成されたきがした。これについてはいろいろ考えたりしているので、時間があるときに思考の整理として文章にまとめていたいとおもっていたり、そりゃ自分のためによ。

 

いまはただただ、見慣れた地域から離れ、みたことない、かいだことのないにおいのする、辺鄙なところに行ってみたいとおもうばかりである。

7月、はええよ、光

休暇をつれづれにすごして毎日だいだいきまったスケジュールでことがはこぶ生活をつづけて数日、無事にもっていた曜日感覚が息をするのをやめた。まいにち変わりゆくのはへんな天気だけで、じぶんはといえば、そこはかとなく宇治市京都市をいったりきたりするのみであったりして。

 

そうはいってるなか、ふとカレンダーをみると、もう7月も終盤戦にはいってしまっておった。時間というのは意識せずともながれてしまうもので、その証拠といってはなんですけれど、じぶんの気がつかぬ間にすこし太っていたりする。や、太っているといってもいわゆるメタボ体型でなく、もともと太らない体質ではあるので一見ではわからないのだけれど、腹をつまむと前にはなかったつかみ心地がするていどではあるのですけれどね。

夏バテというのがこなく、つねに腹をすかせておるのだが、いやはやいったいなぜでしょう、ずっと一日中つくえで学問かほかのことをしているのみで、運動はといえば駅での階段の上り下りしかないのではあるのでやはり単純な運動不足からくるものであるのだろうね、はやく来て、夏バテ、8月、冷涼。

 

 

 

初夏まっただなか、7月

ついこのまえまではだいたい夕方4時5時ごろになると、空がどんよりくもってきて、まあ雷なんかが空をかけめぐって、ときたま地面に落ちたりしていたりしたのだけれど、このごろはそんなことなかったように晴天。直射日光をさえぎる、そらの防御壁がないために、西側にめんする自室がどんどん高温新記録を更新してきとる。まえは32℃で部屋にもおれへん状況やったけれども、きょうなんかみたら35℃やって、そこにいるだけで汗がとまらなくなったりして。まあ、夏。

 

盆地はそらに雲があると、熱がこもって晴れているときより温度がたかくなると小学校のときならいませんでしたか、もしかしてうちだけやったんかな。でもどっちにしろじめじめする夜はやっぱりむさくるしく感じてしまうもの、よねえ。

 

先日、軽くでかけて外をあるいていたのだけれど、ちょっと大きめの横断歩道をわたろうとして、歩道で歩行者用信号が青に変わるのをまっていた。じぶんのほかにもまだひとが数人おって、みんなどこいくんやろうか、とかふとおもったりしていたら、背中からたたかれる感触。なんやとおもってふりむいてみると、車椅子に乗った真ッピンクの服着たおっさんがおったのだった。なにか喋っているので、つけていたイヤホンをはずして耳を近づけてみると、「そこ邪魔やから、のいて」といわれた。ええっ。ひと数人でがらがらやのに。ええっ。わざわざうしろとおるの、なんで。なんておもいながら、素直にどいてあげたけど、なんかなっとくできなかったが、数分したら忘れてた、夏はあったかいというより暑いんやけどな。

おおきなものの一部

京都駅の近くのビルの、でかい電光掲示板を、歩いているときにふと目にする、午後4時。おとといは33℃で、昨日は35℃でして、やっぱり地球温暖化のそれをじんわりかんじてしまったりして。すこし斜めにかたむいた太陽がはっする紫外線とやらをうでに生身に受け、いささかのひりひり感がどこからか湧いた。

しかし地球というのはとても巨大で、壮大で、広大で、とてつもなくでかいもので、地球の中心部なんていうのはものすごい高い温度をたもっていて、その熱エネルギーのためにわれわれがすむこの星がまわっているのだそうで。そのおおきなおおきな球体の表面温度が2,3℃あがる、なんていうのはまあ自然なことなのでは?なんていうことをどこかで聞いて、せやねえと納得することもしたのだけれど、それってじぶんたち、まあつまりは人間だけれども、それが起こした環境破壊の責任を、ほかのものになすりつけているだけなのでは?なんておもったりもした。

 

 

みえない世界、

いわゆる他人的別世界

毎日通うばしょに、あ、あのひとまたいる、あ、あのひとはじめて見た、というふうに思ってはみるけれど、もしかしたらむこうのひとも共通してあ、あのひといつもいるひとだ、とか、あのひとはじめてみるな、とそんなふうにおもうのだろうか。

わたし今日の服さらぴんなのよ、とか今日の服近所のひとからもらったお古ですねん、なんていうのはわからないけれど、みんな一緒に服を着てつくえで勉強してる傍ら、エアコンが音も無く冷風をふきだしている、午後2時。

 

ただそんなふうに思ってはみるけれど、今同じ空間に存在しているひとたちにも、それと同じ数の朝があったわけよ。よいか悪いかはさておきね、それなりのすごし方があったわけよ、それからそれと同じ数の夜もあるわけよ。それはみんなには見えないから、他人という存在、見えないから、他人的別世界。

訪れというの

夏である、季節はかわったのよ

先日今年ではじめて、人生でまだ二回目なのだけれど、部屋に忌み嫌われし害虫が出現し、久々に大声をだしてしまった。逃げてる隙に逃走を図られ、結局決着がついたのは0時前だった、切実にやめてほしい。けどこんなこと、伝わることはないので、おそらく人類と生物としては大先輩のかれらとは、いつまでも戦い続けることなのだろうね。

 

考えてみると、人類が勝手にここからここはわたしの陣地、ここからむこうまではあなたの陣地、というふうに、ありもしない境界をひいたのであって、それはおたがいににんしきしてこそ成り立つものであるから、人間いがいのせいぶつには当然受け入れられないものなのであることは誰にだってわかることなのであるのね。ですからその虫たちには自分がどこにいようと、ほんとに虫たちの勝手なのよねえ。

 

GKBRはもともとは、名前はわすれたけれど、今ほど忌み、嫌われてなかったという話を聞いたことがあります。かれらが出現するところは、食べ物がいっぱいあって、湿気がおおくて、いかにも住みやすそうな場所ですから、かれらが出現したのをみた当時のひとびとは、ああうちって裕福なんだな、というふうに考える時代もあったらしい。幸せなことである。

 

そんなかれらが嫌われはじめたのは、だんだん西洋文化が浸透し、純粋な日本ではなくなってきてからだそう。どんな変革があったのかは知らないけれど、わずか数十年でこんなにも日本の多くのひとがかれらを嫌いになってしまったそうで。そうかんがえるとかわいそうなことですわね。ほほほ。別にいいんですけどね。