とてもありふれたこと
自分が死ぬゆめというのはよくあることで、だいたいは死んでしまったその瞬間、ゆめから起きて、思い返すこともないのだけれど、先日みたゆめはとてもとてもとても特異なものであって。
中身というのは、自分は知らないたてものに居て、なにをするでもなくただぼうっとしていて、なんらかの出来事があって撃ってころされる。というところからしか覚えていないのだけれど。そこから場所が変わって、またもや自分は知らない草原にいて、うつぶせのまま寝ころがっている。
問題なのはこれからで、普通に起き上がろうとてのひらを地面につけて、ちからをいれるのだけれど、起き上がった感触はするのに、なぜか目の前に寝ころがった自分の後姿がみえるのであった。それが自分にとっては衝撃で、びっくりして。そうしてふらふらしているうちに、家族と出会って、高校のときの友達に出会うのだけれど、自分のすがたは見えないようで、なんと寂しげな気持ちになったことか。
病気のときを体験してからこそ、健康の価値というものがよくわかるというものだけれど、しんでしまったあとには、自分にはもうどうにもできなくて、ただ後悔だけがのこる。生きているときのよろこびというのは、生きているときに実感すべきであって、しにゆく間際に、ああ生きるっていいな、と思うのは、なんだか損をした気分になってしまうものではないのかな、なんて。
そんなゆめから目覚めたあとは、白い太陽のひかりがさしこむベッドのうえで悲しくなって、それとどうじに今という瞬間、めざめた瞬間、あらゆる瞬間のおくそこに、生きているということの価値を、そっておいていこうと決意。