永久運動

日記のような、随筆のような、ただ思ったことをつらつらと書きつらねるところです

雲のながれ

水の実感

先週記事を書いたときには、最近晴ればかりでぜんぜん梅雨らしくないなどと供述していたのにもかかわらず、今は梅雨がつれてくる湿気にふさぎこんでいたりする、ゆうぐれ。雲にかくれてきれいな橙色のそらと、強調するようにかがやくあの景色はいったいいつからみていないのだろうね。ね。

 

水曜日のあさは、天からふる水滴が屋根をたたくおとに目をさまして、とけいをみるとまだ5時すぎだったのを思い出す。くもにおおわれた灰色のそら、アスファルトに染み付く雨水からわきだす、雨のにおい。この雰囲気も、嫌いじゃないのですよとおもってはみるけれど、好きにはなれそうにもないところがまた雨っぽい。

電車のなかはじめじめしていて、側面につく窓ガラスのくもりが湿度のたかさを証明している。思い返せば、先週の水曜日も雨でして、そのまえのまえの水曜日も雨だったようにおもいながら、ながれゆく外の景色をよこめで眺めた。

 

最近は自宅であじさいが満開にさいていて、ついぼんやりみつめてしまう。派手でなく、おとなびた色合いの花びらは、とても奥ゆかしい。

ついこのあいだ知ったのだけれど、あじさいの葉っぱには毒があるそう。しかもその毒の成分がまだわかっていないらしく、なんだか不思議なかんじ。だれかに狙われるような見た目はしていないのに、自分をまもるためなのか毒をもっているという事実が高貴なイメージをわかせる。

 

一部をとって、花瓶にかざった。いまは綺麗なむらさき色の花びらが、間近で見られていささかのしあわせ。しかし、いずれかれてしまう運命なのだとわかっているから、今のきれいさがより貴重なものだとわかるのでしょうね。