永久運動

日記のような、随筆のような、ただ思ったことをつらつらと書きつらねるところです

やってきた、熱がよ

冷たさの価値があがる

昨日の昼から夜ねるまえまで、左腕のひじの下側、うまく説明はできんが、そんな部分、ゆびでぐっと押したらすこしだけぐびびっと内側にへこむようなあの部分がやたら痛みだし、無視できるような痛みではなかったので、なんだか心配になってきていた。これ、あかん病気とかなんちゃうん、とか腕切り落とさんならんかもなんて考えがどこからともなくわいてでた、昨夜午前0時。

 

もし腕を失うようなことがあったら、こうやってパソコンで文字をぱしぱしうちこむこともできなくなるし、文章はかけなくなるしで、日常生活なんてできたものではなくなるでしょうね。いまのこの生活がほとんどすべてこの片方の腕1本にささえられてるのかと思うと、いやはや片腕の重要性を気づかされたきがしてます。幸いなことに腕というものは2本あるのだけれど、正確にコントロールできるのは片方のみなので、にんげんといふものはもろい存在ですね、まったくね。

 

今朝は温度が暑く、梅雨も明らかな終わりをみせていて、まあよかったのだけれど、盆地にすむわれわれは、まだ夏の湿気になやまされそうであります、夏。この暑さもそうではあるけれど、ようやく聞きましたよ、セミの声。夏の到来。熱の到来でありましょう。そうでしょう。恒温動物というものはやっぱり誰しも暑くなったらつめたいものをもとめるでしょうし、寒くなったらあついものをもとめるでしょうから、むわんとかほる夏のにほひからは、やっぱりみんな冷たさをもとめるものでしょう。冷たさの価値があがる。