永久運動

日記のような、随筆のような、ただ思ったことをつらつらと書きつらねるところです

うつりめ

おもうことなんかなくて、考えることなんかなくて、ただ流されてゆくままに毎日をすごして、ガラス越しに太陽のうきしずみなんかをながめていたら、夏がおわってしまっていた。電車にのっても、室内にはいっても、半そででは逆にさむいくらい冷房がついていて、夜になると日が沈んでいるために日光をおがむことができなくて、じぶんじしんを生物として考慮するとこれは圧倒的に変なこと。四季を無視してすごすことというのがからだに与える影響とはなんなのか、そんなことも考えようとしたのだけれど、どうしても考えることができなかった。や、というよりすべてを放棄していたというのがただしいことかもしれんが実際どうでもいいことなのであったので、これもながす。すてる。

 

いつのまにか涼しさがやってきていて、窓をあけて紺色のひかりがただよう夜の外をながめた。ずっとないていたセミがいつのまにか、名前もわからん鈴虫かなんかにかわっていて、その変異の瞬間がおもいだせない自分がいることが泣けてくる。頭痛もする。これはあとから調べたら肩こりやストレスからくる神経痛であったのだけれど、じぶんがじぶんとして積極的に時間を消費しているかんじがしないのよ、最近。よくないほんとよくない。

 

文章を書くのもきがつくとずいぶんひさしぶりで、パソコンのキーボードをぱしぱしうてなくなっててやはりここにも時間のながれをかんじる。受動的に時間をすごしすぎているため、時間に過ごされているというのが適切なひょうげんなのかもしれん。じぶんで動きをつくらねばねえ、とわかってはいるのだけれども。また秋はながれてゆくだけ。