永久運動

日記のような、随筆のような、ただ思ったことをつらつらと書きつらねるところです

冬のきざし

夏がおわってまた忙しいまいにちがはじまってからはや3週間が過ぎさろうとしていくなか、じぶんはそれをただ遠くからみているような感覚で時のながれをじっかんしておると、そんなことしているばあいではないと、身近な数字に気づかされる。カレンダーを見る機会はないけど先日手帳をふとみたときに自発的に脳にうかんできたので、深層心理ではずっとおもっていたのかも知れぬ。ただ自我がそれから逃げていたのかもしれぬ。

 

時がたつのははやいもので、もはやひとりにもなれつつあって、年齢相応に今の自分の境遇を具体的に簡素に表現できる言葉を見つけました。「独身」。

高校時代の友人と話すことがたてつづけにあったので、高校を卒業してからの友たちは、いったいどういう今をすごしているのかということをたづねてみると、みんな別れているそうで、みんな結合を切ってイオン状態にあるそうで、いはんや自分もそうで、やっぱり環境がかえてしまうものは大きいと身をもって体感したのであった、9月の中盤、近鉄電車内。

 

楽しい思い出を創造するという目的で、付き合いたい願望は胸に秘めておるが、なにもそれは性欲とはかなり隔離されたものであるのはまぎれもない事実なのであることにじぶんでも信じられぬ。というのも、ただそのときにまいにちが楽しくなって、あとであああのとき楽しかったな、とおもえる思い出が欲しいからなのであり、それは今のじぶんの境遇にまったく満足していないことを露呈しているだけではあるのだけれども、つまりは誰かと付き合うというのはまさにそういうことなのであろうな、すべてはその境遇にあるじぶんとあいての一瞬一瞬なのであろうな、そういうのをもとめることが正解で、そうでないものを否定する気はさらさらないのやけれど。