永久運動

日記のような、随筆のような、ただ思ったことをつらつらと書きつらねるところです

距離

ガラガラの電車の座席に座りながら、窓の外の風景をなにげなくじっとながめて、広がる住宅地の真上に、それより大きく広がる空の綺麗さに、ひさびさに感動をおぼえたりした。電車は走りつづけ、眼下の家々はめまぐるしく移りかわるというのに、空はぜんぜん変わらずおなじ姿を網膜にうつす。あまりにも広大すぎて、ぎゃくに奥行きをなくしているその深い青さに、圧倒的な自然をふとおもいたったりしたのです。

 

じぶんがこうして空をなにげなくみて、ふとどうでもいいことを考えている間、空というのは微妙に動きつづけている。雲は静止しているようで毎秒どこかちがうし、さっきまでそこにあった空というのはもうそこにはないのだけれど、空は誰にでもみれるものであるから、その一瞬一瞬の空の形を、見知らぬ誰かがみているかも知れない。どこかで景色を共有しているかも知れないとおもうとなんだか世界は狭い、それに過去の人間も空を見上げ、いまのじぶんと同じことを考えたかもしれない、とおもうと、人類がつけてきた足跡は、意外と少ないのかもしれない。

 

空というのはあるようでない。ただの水蒸気の光の反射だからです。人間の目にみえる光の波長というのはとても限られていて、全体のほんの一部しか見れていない。でもじぶんはこの空が青く見れる生物でよかった、雲が白くみれる生物でよかった。すべての人類に、空が青く見えていなければ、こういった感動を覚えることもなかっただろうから。