永久運動

日記のような、随筆のような、ただ思ったことをつらつらと書きつらねるところです

激動の9月

歩きながら、地面に生息するカラフルで謙虚でひかえめなタイルをみながら、今、じぶんがなにを考えているのかをさまざまに模索したけっか、得られたのは空白の時間。夜はさむいぐらいに涼しいのに、日中はたいようのせいで長袖のパーカーではやや暑い。けど半そでになると室内のクーラーで寒い。なぜここまでじぶんはじぶんの体温さえ調節できないのか、ということを考えるけっかにはなったのだけれど。それも数分で思考のかたすみで消えてなくなって、また考えることをしなくなった。

 

どこか別の場所、いわゆる知っているひとがひとりもいなくて、人間関係やらじぶんをとりまくある程度の環境を都合よく一新した状態のことだけれど、そこに行きたいとおもうことがよくあって、まあそれはそれで考えというか机上の空論としてはよくできた題材であるが、妄想がはかどるものであるが、果たしてその考えるという行為がじぶんがいまいる現実からの一種の逃げでないかというふうに考える。や、なにをもとめてそこに行くかでいろいろと物事は変わってゆくのだろうけど、新しいところへ移ったところで、結局じぶんのことであるから、また同じ環境をつくりだしてしまうのではないかということがあたまによぎって仕方ない。その環境にすむという極めて限られた場合を前提としているのだけれど、これこそ机上の空論。現実的時間の無駄。

 

さて、一週間が驚くほどはやくすぎて、気温もすごいいきおいで下がっているのだけれど、じぶんとしてはたいした変わりも無く過ごしておって、変わったことといえば最近ふとんを一枚追加したぐらいです。つまらん報告やけれどあとで見返すと笑えるのではありませんか?笑えることありませんか、そうですか。