永久運動

日記のような、随筆のような、ただ思ったことをつらつらと書きつらねるところです

こがらし

2週間ほどまえから決まって朝に腹が痛み出し、それが一日中続くという苦難のときをすごしてそろそろ慣れようかとしているときに花粉症かなにか知らない何かが鼻水、喉痛をひきおこし、外にでようとする意欲をかき消してしまった。つまりはひとりでなにかを考えることを避けるための手立てをうしなってしまったのだ。

 

なにかが燃えるにおいがする空気をすいながら、ひとりで家の中ですごした。どうやって死ねば一番楽に死ねるかというテーマだった。数時間かけて考えた末、結論は老衰だったのだけれど、よく考えたら僕ははじめから死ぬ気はなかったのだった。なにひとつ進歩しなかった。時間を無駄にしてしまったけれど、いい時間の消費にはなった。

 

ひとりでものを考えていると、結局じぶんひとりぶんの考え方しかできない、という言葉を本でよんで、確かにそのとうりである。じぶんひとりぶんの考え方というのは全く価値をもたない。というのも僕はじぶんひとりで生活しているわけではないからだ。

パートナーをつくるべきかも知れない、とびきり親しいパートナーをもつべきだと思う。じぶんの精神が安定するし、精神そのものも強くなれる。あらゆる場面に対応できるし、ふたりぶんの複雑な考え方がもてる。でもそのパートナーのつくりかたをもう忘れてしまったようにおもう。今居る自分状況がそうさせるのだ。今居る僕ひとりぶんの、何の価値ももたない考え方がそうさせるのだ。