永久運動

日記のような、随筆のような、ただ思ったことをつらつらと書きつらねるところです

心機一転

もう二月になるけどそんな実感は特になくて、一月の思い出っつうかなにしたかなんて特になくて、やっぱりないんなら気持ち的には一月じゃないのって感じだけどそんなことはない。二月の後半なのだ。最近自分がなにをしていたのか記憶があんまりないまま、そしてなにも考えずに生きていたんだと外の寒さを顔に感じながら思う。まだ冬だ。ほんとに二月の後半なのか。

 

地面は思ったより寝やすくて、あったかい。冬なのに。地面に伏せていると立ったときより体ぜんたいで受ける冷たい風の量が減る気がするのだけれど、これはどうなんでしょうね。そのとき木の葉がすべて散り、シルエットになった黒い枝が黒い空へと伸びていた。この時期の朝六時は朝っぽくない暗さで僕自身を大きく覆っていて、このあいだ買った革靴は見えないところで傷だらけになっていて、無数についてしまった革靴の傷はクリームや墨で簡単に消えるのだけれど、なんというか自分と違いすぎていろいろ変化とか焦燥とか悲愴とか、なぜか敗北感とかいろいろぎゅるるると自分を置いてものすごいスピードでこみあげてきて、黒く大きすぎる京都の空に向けて目から食塩水が染み出していて、時計は六時半を指していた。

 

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この歌を記しておく。どことなくZARDを思わせて一人泣いた鴨川の河川敷の冷たい風を受けて感じた涙のにおいを思い出す。過去をみてもどこにもいけないが、そこから得られるなにかがあるし、人は何からでも学べるってどこかでみたがどこで見たかは忘れてしまった。変化は進化だ。それが良い変化か悪い変化かは変化したあと結果的にわかることであって、変化する前に良いか悪いかを判断するのはナンセンスであるのだろう。