永久運動

日記のような、随筆のような、ただ思ったことをつらつらと書きつらねるところです

無色

 なんか最近は時間がたくさんあるので、なにを考えるということはないけれど、やっぱり人間ひとり生きているのでなにかしら考えることは多い。こうして自分の考えたことを文章にして、後々の自分にまとめておくということがいささか困難なことに思える。前回の記事が1年まえで、それ以来に感じたこと、考えたことを書いて残しておきたいが、目まぐるしく動く周りの環境、人付き合い、それをとりまく様々なことが過ぎてしまえば一瞬なので、文字にするということだけでなく、思い出すということさえ難しい。

 

 2022年は令和4年、大学も3年生から4年生になり、実家暮らしから大阪で一人暮らしをしていたり。身の回りだけでなく、自分自身の考え方も大幅に変化した数年間。特に何も感じていなかった実家の飯が、ふと食べたくもなるようになった。1日のすべてをひとりで過ごし、友達と会う機会もさほど多くはなくなった、つまるところ、みんな大人になったというわけで。目標が大学卒業から就職になり、道行く人たちがマスクをつけるようになった。周りの環境は変化しているが、自分自身はどう変化したのやろう?って聞いても答えてくれる人はいるはずもなく、つまりはそんなこと気にする必要はないんやろうという結論に落ち着いた。思い返せば、座右の銘が「今が楽しければ、それでいい」である僕にとって、そんなあらゆる思考はいたってナンセンスなものであったなあ、と考えるのももう17時半。

 

 大学4年生のころ、というかほんの数か月前やけれども、なんていうのはもう思い出したくもないし、再び考えたくもない、そんな1年があったとうことだけ記録しておく。でもただ居心地が悪くて、嫌で嫌で、逃げ出したくて、できなくて、それでも嫌で、解決策を考えて、ダメで、でも嫌で、でもなんだ今を生きれているという、現実。複数の意味で、たくさんのことを学べた1年であったと考えると、まったく大切な時間を無駄にしたというわけではなかったのかな、と今になって考える。

 

 結局のところ、1番大切なのは自分自身であるということなんや。今後自分が結婚するかどうかもわからないが、したとしても、しなかったとしても、文字通り常に一緒にいるのは自分自身なんや。どんなことがあっても、どんな目にあっても、なにをするにしても、なにもしないにしても、常に一緒にいるのは自分自身なわけで。自分自身に嫌なことをすると、僕も嫌な気分になるし、自分自身が楽しいと、やっぱり僕も楽しくなる。どんなに人から嫌われようと、どんなに人から好かれようと、死ぬ間際、いちばん近くにいるのはやっぱり自分自身。たとえ、誰かを嫌いになることはあっても、自分自身を嫌いになることはしたくないし、たとえ、誰かを責めることはあっても、自分自身を責めることだけはしたくない。つまりはそういうことなんや。今後の僕も、自分自身とうまくやっていけてることを願うばかりである。

 

 でもだからといって、僕の周りにいる人たちはどうでもいいのかと言われると、そんなことは決してない。好きなものは大好きだし、嫌いなものは大嫌いだし、そういうのはほとんど変わっていないし、今後も変わることはない。僕は好きなものだけを好いていたいから、周りの人たち、だけでなく、気に入った身の回りすべてを好いていこうとも思う。今後の自分もそれだけは不変であってほしい、だって自分が大きくなったとき、嫌いなものばかりに囲まれているのは嫌やしね。

 

 長々と現在を綴ったが、たばこが吸いたくなったのでここいらでやめにする。もう大きくなったので、自分が好きそうなポエムはかけないが、たまには子供心に戻ってもいいのかな、なんて思ったり。これからも何か考えることがあれば、こうして記していきたい。何年前か忘れたが、ここにつけた名前、永久運動、その名の通りに、ゆっくりではあるが、たまにはこうして考えを記録していこうと思うばかりである。

 

追伸 あの人を想っていた時も、今でも好きな曲を記しておく。また忘れたころにきいて、なにか別のことを感じていたら、それはここに記した意味があったというものや。

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